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2016年03月19日

真田信尹の墓所、龍岸寺

NHK大河ドラマ「真田丸をご覧になっているみなさま、
劇中で目下絶賛活躍(暗躍?)中の真田信尹信繁の叔父)のお墓が、なんと北杜にあるということをご存知でしょうか?

 

真田信尹の菩提寺、龍岸寺はJR長坂駅、もしくは中央道長坂ICから車で10分ほどのところの静かな農村の中にあります。

 

右手前のものが信尹公のお墓だとか。ちょっと読みづらい写真になってしまいましたが、戒名の脇に「真田隠岐守信尹」と銘が刻まれています。

 

 “真田信尹(信昌)は、真田幸隆(真田家初代)の四男、すなわち昌幸(上田城主幸村の父)の弟である。昌幸とともに若年より武田信玄に仕え、武田一族の加津野家を継ぎ、加津野市右衛門、ついで同隠岐守と称している。後、真田姓に復する。天正10年(1582年)の武田氏滅亡後は、いち早く徳川家康に仕えた。同年9月昌幸が家康に属したのは、信尹の斡旋による。この後も、昌幸と徳川の仲介役をつとめている。一時会津の蒲生氏郷に仕え後、徳川家へ帰参、旗本奉行となり、関ヶ原、大阪両陣に供奉し、その功績により千石加増され合計四千石となる。慶長19年(1614年)甲斐国巨摩郡の内に、采地をあたえられ御使番となる。慶長年間、龍岸寺6世利山玄益和尚の時本堂の再建、諸堂を建築して龍岸寺中興開基となった。この故に真田家家紋の六連銭が寺紋となっている。当時大蔵村(須玉町大蔵)に居住し、現在その屋敷跡を残している。寛永9年(1632年)5月、86歳没。知行地でもあった龍岸寺に葬られた。この墓には、信尹夫妻以下3代が葬られている。”

(現地案内板より)

 

信尹公のお墓のある場所ですが、本堂の方に振り返ると東側の山々がきれいに見えます。
写真真ん中にうっすら見える白い山はおそらく金峰山
龍岸寺に至る道からは富士山八ヶ岳甲斐駒ヶ岳などの南アルプス山脈を見ることができて、非常に眺めのいい場所です。昔の人もこの眺めを楽しみながらお参りされたのでしょうか。

 

お墓参りをされる時には必ず目に入るかとかと思いますが、信尹公のお墓の右隣にはひときわ大きいご神木がそびえ立っていました。
まわりには同じ時期に植えられたであろう木々が何本もあったのですが、このご神木は抜きん出て背が高い!信尹公が亡くなられた当時(約380年前)はどれくらいの大きさだったのでしょうか…

 

こちらは龍岸寺お堂の入口です。遠目からでも気になるあの赤いポスターは…

 

真田丸のポスターがしっかり飾られていました!

 

真田丸信尹公を演じていらっしゃる俳優の栗原英雄さんのサインもありました
去年の夏、まだキャストも公式発表されていない時期にお墓参りにいらっしゃったとか。

ちなみにこちらの龍岸寺を開いたのが「栗原」さん。中興開基が真田信尹公
時代を下って同じ姓の方が真田信尹を演じるというのにご縁を感じる、とはご住職の奥様の言葉。確かに偶然といえば偶然ですが、不思議なつながりです。

 

できたてほやほやの龍岸寺小史真田信尹公にまつわる話をまとめた「しおり」もいただいちゃいました。
真田丸ファンの方が大勢いらっしゃるというので、最近ご用意されたとか。
じっくり読んで勉強させていただきます!

 

ちなみに龍岸寺本堂の屋根の上には、寺紋である六文銭武田菱が並んであしらわれています。(真田家と武田家の家紋が並ぶ姿が、歴史マニアの方にはポイントなんだとか。)
このお寺を中興開基した時には徳川旗本だった信尹公ですが、滅亡した武田家への思いが強く残っていたのでしょうか。

 

龍岸寺の境内には梅の花が咲き誇っていました。春ですねー!青空に映えてとってもきれいです。
こちらはもとても見事だそうですので、開花の時期にまた伺いたいと思います。

 

足元にはたんぽぽの花も咲いていました。
静かだった冬もそろそろ終わり、いよいよ八ヶ岳南麓にも春がやって来るようです。

 

より大きな地図で 龍岸寺 を表示

龍岸寺までのアクセス

JR中央本線・長坂駅、もしくは中央自動車道・長坂ICから車で10分ほど。
少々入り組んだ道ですが、付近には案内看板もあるのでそちらを確認しながら向かってください。

曹洞宗徳雲山龍岸寺山梨県北杜市長坂町長坂上条1666

 


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